東京高等裁判所 昭和35年(う)2746号 判決
被告人 植田仁作
〔抄 録〕
論旨第一点について、
所論は要するに、原判決が罪となるべき事実において、被告人が佐野晴雄の「死亡することのあるのを認識しながら」と結果発生の認識があつたことを判示するのみで、佐野晴雄の死亡が被告人の故意に基くものか認識ある過失に基くものかを区別する判示を欠きながら、法令適用において刑法第一九九条を掲記しているのは、原判決理由中の罪となるべき事実と法令適用との間に理由のくいちがいがあるというに帰する。
しかしながら原判決を仔細に検討し、所論指摘の所謂主観的違法要素につき原判示に不備ないし齟齬があるかどうかを考察するに、原判決はその罪となるべき事実の判示において、被告人が佐野晴雄の「死亡することのあるのを認識しながら」との文辞に引き続いて、別段に被告人が右認識にかかる結果の発生を回避しうるものと思料して不注意により結果の発生を惹起した趣旨の説示を何等なすことなく、直ちに「斬り付け又は突き刺し因つて……死に至らしめて殺害した」と判示していることに徴すると、被告人は佐野晴雄の死亡という結果発生の可能性を認識表象しながら、敢て右結果の発生を認容する心理状態によつて原判示所為に及んだものであることが、原判文より明らかに理解され得るのであつて、未必的故意による殺人罪の事実摘示として何等欠けるところはなく、所論の如き理由不備ないし理由齟齬の違法は存せず、論旨は独自の見解に基き原判決を非議するものというのほかなく、到底採ることはできない。
論旨第二点について
所論の要旨は、本件犯行は佐野晴雄が被告人の些細な言辞を感違いして突然の暴行に及んだことに端を発し、被告人がこの急迫不正の侵害を防衛するため乃至現在の危難を避けるためにやむなく夢中で小刀を振り廻したことにより惹起されたもので、正当防衛乃至緊急避難に該当し、仮にそうでなくても少くとも過剰防衛もしくは過剰避難あるいは誤想防衛もしくは誤想避難に該るに拘らず、ことここに出でず右主張を排斥した原判決は右事実を誤認した結果法令の適用を誤つたものであるというに帰する。
よつて所論に鑑み本件記録を精査するに、原判示闘争の外形的経緯は原判決挙示の証拠により優に認めうるところであつて、佐野晴雄の被告人に対する暴行が不正の侵害というに充分であることは所論のとおりであり、また、一般に喧嘩闘争の故に直ちに正当防衛の成立する余地なしと断じ得ず、憤慨による反撃が防衛意思と必ずしも両立併存しえないものではないことも所論のとおりであるが、本件の場合、佐野晴雄の被告人に対する不正の攻撃は到底急迫乃至現在するものとは言い難いのである。すなわち、被告人の携帯していた小刀が喧嘩闘争の為に予め用意したものでないことは明らかであるにしても本件犯行の直前に斎藤好正に意見すると称して同人の顔前に右小刀を弄び、そのうえなおこれを懐中していた所為に徴すると、被告人の思い上つた自己顕示的傾向と事あるにおいては機に臨んで使用しうる小刀の備えのあることに意を強くしていた心情を推認するに充分であり、従つて佐野晴雄の攻撃に対し被告人においても敢て積極的に反撃の挙に出たとの趣旨の原判示認定は到底動かしえないところであり、また、被告人において佐野晴雄を殊更に侮蔑し挑発する意図もなく「なんだ豆腐屋か」との言辞を不用意に発したにすぎないとしても、同人の被告人に対する予知せざる最初の殴打が被告人の非礼な言辞に起因するゆえんを忽ちにして覚知しえた筈であつて、たとえこれに思い及ばなかつたとしても、深夜の路上とは云え共に連れ立つ同僚も身辺に居合せた際であるから直ちに弁解乃至謝罪によりその場をとりつくろい或はその場を逃れえたと認められるのに拘らず、却つて佐野晴雄に飛びつき互に掴み合い押し合つて茲に喧嘩闘争に移行したのであつて、その後に及んで被告人がたちどころに劣勢に陥り危殆に頻するに至つたこと所論のとおりであるが、右喧嘩闘争の首尾全般の推移過程に徴すると、到底、侵害の急迫性乃至危難の現在性を肯認することはできないのである。また、被告人が右喧嘩闘争の如何なる段階においても正当防衛乃至緊急避難の要件を具備するものと誤信したと認めるに足る何等の証拠もない。論旨は理由がない。
論旨第三点について
所論に要するに原判決が殺意を認定したのは事実を誤認したものであるというにある。
よつて、所論に鑑み本件記録を精査すると、原判決が未必的殺意を認定したものであることは前説示のとおりであつて、被告人の司法警察員に対する昭和三四年一〇月一六日付供述調書には、「私の使つた工作用のナイフは……大きさも切れ味もよく判つているのでこれで人を突いたり切つたりすれば当り処によれば人が死ぬ位のことは常識でも判ることです」との供述記載があり、検察官に対する同年一〇月二八日付供述調書には「勿論ナイフで人を切つたり突いたりすれば相手が死ぬ位の事は良く判つています」との供述記載があり、本件犯行の用に供した右ナイフ(工作用小刀)(当庁昭和三五年押第一、一一九号の一)が刃渡一一糎の極めて鋭利な所謂切出小刀であつて、佐野晴雄に負わせた創傷が六カ所にも及び且つ左臀部の創傷を除きいずれも生命にかかわる部位、程度のものであることに徴すると、被告人が本件犯行に際し佐野晴雄の結果を招来するであろうことを認識していたものと推断しうるもののようであるが、更に仔細に検討すると、被告人は右司法警察員に対する供述調書において右引用摘示の供述部分に続いて「常識でも判ることですが、只あの場合は、私は夢中だつたのでそれまで考えなかつたのです」と供述しており、また右検察官に対する供述調書において右引用摘示の供述部分に続いて「よく判つて居りますがその時は相手が生きるとか死ぬとか云う事は考えず夢中で突いたり切つたりしたのです」と供述しているのであつて、右に各引用摘記した被告人の供述記載からは被告人が司法警察員及び検察官に対して未必的殺意を自認する趣旨の供述をしたものとは到底解されないところであり、創傷の部位程度及びこれを惹起せしめた小刀の大きさと性能と共に併せ考慮して被告人が積極的殺意乃至未必的殺意を有していたものと断定するに足る証拠は見出し難いのである。しかしながら、さればといつて、被告人が司法警察員に対し同年一〇月一一日付供述調書において述べるように「からたちを出る頃はもう何も判らず誰と出たか外の者が帰つたのか今考えても判りません、それで私が今考えて判ることは誰かと喧嘩して二人倒れた様でその時気付いたことは相手の頸から血が沢山出ていたことで、私はびつくりしてやつちやつたと叫んで相手の傷の辺りを押さえたことは覚えています」という程度の認識、或は被告人が当審公判廷において供述するように「なんとかして遁れたいということの他は何も考えず小刀を出したことも刺したことも無意識で佐野晴雄の首から血が出ているのを知つて初めて気が付いた」という論旨の程度の認識しかなかつたものとは軽々に断定できないところで、むしろ被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書における供述記載の推移と被告人の原審から当審に及ぶ公判廷における各供述の変遷過程を通じ諸般の情況証拠と対比して綜合考察すると、被告人が検察官に対し同年一〇月二八日付供述調書において供述するように、「相手から襟をがつちり掴まれ首を締められたので私はこれではとてもかなわないと思つたのでズボンのバンド内側腹の処に入れておいた工作用ナイフを取り出し右手に持ち刃を下に向け何処と云わず夢中になつて佐野を突いたり切りつけたりしました、最初私は相手の身体の前側胸か腹か判つきりしませんが一突きしたのは判つきり覚えて居りますが、あとは何処をどう突いたのか判つきりしません、とにかく私はむちやくちやにナイフを振り回し突いたり切つたりしたのです、その時私の気持は相手が生きるとか死ぬとか云う事は考えずにカアツとして夢中になつてやつてしまつたのです」というのが被告人の真実の意識状態を伝えるに近いものと思料されるのであつて、被告人は佐野晴雄の攻撃のもとに劣勢に陥り狼狽の挙句突嗟に所携の小刀に思い及び之を取り出しざま先ず一突きしたうえ更に前後の見境もなく乱刺というに価する暴行に及んだもので、暴行の意思を有したことは優に認められるにしても、被告人が本件の右の如き情況に立ち至つて尚不確定的にもせよ脳裏に殺害の可能性までも表象する余地のありうべくもなかつたであろうと解するのが、本件の具体的情況のもとにおける事物通常の真実に副う所以と思料されるのである。
しからば、被告人が本件犯行に際し未必的殺意を抱いていたものと認定した原判決は、事実を誤認したものというのほかなく、この誤認が判決に影響を及ぼすことはもとより明らかであるから、この点において論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
(渡辺 目黒 深谷)